日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

琉球領有、ペリー提督の提案

日本はアメリカの国書を受け取りはしたが、最悪の場合、友好の確立も出来ず何の条約さえも結べないかも知れない。この対策をどうするかだ。こんな不安を抱いたペリー提督は、日本がかたくなに門戸を閉ざす時は、薩摩藩の支配下にあると聞く琉球の一部領有をダビン海軍長官へ再度提案した。これは、ペリーが二度目に日本に行く途中、琉球からの提案である。
(『ペリーを訪ねて』、中野昌彦著、東京図書出版会、2006年4月、 ISBN4-86223-017-2、P. 223-226 から引用)

ぺりーは、日本が何の譲歩をしなくとも、琉球の一部を領有する可能性を考えた。勿論この考えは今に始まったわけではなく、ノーフォークを出発し最初の寄港地・マデイラ島ファンシャル港から海軍長官に送った書簡にもやんわりと出てくる。・・・しかしペリーに条約締結の権限は与えられていたが、軍事力が伴うであろう領有を単独で実行できる権限はなかった。ペリーは1854年1月25日付けで琉球からダビン海軍長官に手紙を出した。いわく、

「他の(開港と条約締結という)二点の成功を勝ち取るには、軍事力を用いない限り少なからぬ不安があります。日本側が武力に打って出ないかぎり、そうすること(武力行使)は多分間違った選択でしょう。従って、個々に特別な命令がない状況下では、私がその責任を持ち、その状況によって行動し、私の最善の判断が出来る選択肢が必要です。私が意図していることは、若し日本政府が交渉を拒否したり、我が商船や捕鯨船に寄港地を提供しなかった場合、日本への従属国であるこの琉球の地を、我が政府が私の行動を認めるか否かはっきりするまで、アメリカの国旗の下で「監視」し、「アメリカ市民への侮辱と損害を知らしめる土地」としてアメリカの「拘束下」で領有することです。・・・若し私が江戸に向けて出発する前に一時的な対策としてそれを実行しなければ、ロシアやフランス、あるいは多分イギリスもそれに手をつけるでしょう。」

とアメリカ政府へ「琉球領有」の明確な指示をあおいだ。この「アメリカ国旗の下で『監視』し、アメリカの『拘束下』で領有すること」は、軍事力を使った領有をはっきり意思表示したものだ。前述のマデイラからの書簡は、琉球の数港の領有は、最も厳格な道徳律や断固とした必要性、また住民の生活レベルの改善にもなる手段として正当化できると言いつつ、琉球住民との友好を強調し、やんわりとした表現だった。しかし今度は、はっきりと政府の決断を促した。ダビン長官は、5月30日付で次のように回答した。

「『若し日本政府が交渉を拒否したり、我が商船や捕鯨船に寄港地を提供しなかった場合』、琉球の一部の島を『アメリカ市民への侮辱と損害を知らしめる土地』として領有するという貴官の提案にはもっと当惑します。本件を大統領に説明しましたが、この提案を出してきた愛国心には大変感謝するが、現在以上に緊急で有力な理由がない限り、議会の同意なしにそんな遠方の島を領有する事は気が進まないといっています。将来、万一抵抗が強くそれが脅威になり、若し一度領有し、その島を明け渡すような事にでもなればむしろ屈辱的で、それを保持する軍隊を駐留させる事にでもなれば不便で費用がかさみます。提案された手段に訴えざるを得ない不測の事態が起こらないことを祈るとともに、貴官の老練さや慎重さ、適切な判断が、武力の行使なしに日本人の無知な頑固さに勝利する事を祈ります。貴官の書簡に提案されてはいますが、島を領有しないことは明白な方針です。」

とはっきり拒絶した。

ペリー提督は最悪のシナリオをも考えこんな提案までしていたのだが、フィルモアからピアースに大統領が変わっても、アメリカ本国政府の方針は不変で、フィルモア大統領の下でペリー提督への最初の指令通り、自衛以外に軍事力は使わず、戦争はしない方針に変わりはなかった。

ちなみに上記引用文に出てくる「マデイラ島ファンシャル港から海軍長官に送った書簡」に対しても、エヴェレット海軍長官はペリーの琉球滞在が歓迎される事を希望しつつ、日本本土の代わりに琉球でも良さそうだとフィルモア大統領も了解したと返答した。すなわち、あくまでも武力に訴えず、友好を下にした琉球港湾設備獲得についてはフィルモア大統領も了解だったわけだ。ヨーロッパ勢のイギリスやフランスの方針と違い、当時のアメリカに海外領土拡張の野心はなかった。

さて、林大学頭とペリー提督が横浜で「日米和親条約」に調印したのは嘉永7年3月3日すなわち1854年3月31日だったから、もちろん5月30日付で出されたダビン海軍長官からの、「島を領有しないことは明白な方針です」という上記書簡は、条約調印時点でまだペリーの手元には届いていない。

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07/04/2015, (Original since 07/03/2010)