日米交流
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History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

オーリック提督更迭の原因
(『ペリーを訪ねて』、中野昌彦著、東京図書出版会、2006年4月、 ISBN4-86223-017-2、P. 57-60 から引用)

一八五一年五月、東インド艦隊司令官に任命されたオーリックは、サスケハナ号で東インド艦隊に赴任し、日本と交渉するよう命令を受けた。この航海には、リオ・デ・ジャネイロまで、シバリエ・デ・マセド駐米ブラジル公使、ロバート・シェンク駐ブラジル米国公使、そしてペンデルトン駐アルゼンチン米国代理公使等を同乗させた。オーリックは翌年二月に香港に着いたが、一八五一年十一月十八日付けの更迭命令が海軍長官から届き、オーリックの指揮に重大な非難が寄せられていることが分かった。それは二点あって、リオ・デ・ジャネイロまで海軍省の許可なく公用の軍艦に自分の息子を同乗させたこと、オーリックがリオ・デ・ジャネイロで、同乗したマセド公使は、政府の費用でなくオーリックの自費で送ったと言い触らしたことだった。 

オーリックは、東インド艦隊司令官として任地に向かうために乗っていた旗艦・サスケハナ号艦長のインマン海軍大佐と折り合いが悪く、いろいろトラブルがあった。これは、当時の艦隊司令官の職掌・責任と、司令官の乗る旗艦の艦長の職掌・責任に摩擦が生じたらしい。例えば、インマンは部下の前でオーリックから、一旦自分が出した命令の修正をせまられる事にカチンときていた。オーリックは自分の息子の海軍兵学校生を秘書にしていたが、インマンはこれを好まなかった。最初は、こんなちょっとした感情の行き違いだったが、日が経つにつれて表面化し、オーリックの監査によるインマンの公金管理問題にまで発展した。ついにオーリックは、サスケハナ号を修理・停泊中のリオ・デ・ジャネイロでインマン艦長を更迭し、アメリカに帰してしまった。東インド艦隊司令官として、直属の部下の艦長を途中で首にして帰国させたのだ。その後は自身でサスケハナ号を指揮したが、こんなことも不必要に敵を増やす原因でもあったろう。また同乗したシェンク米国公使が国務長官に手紙を送り、米国政府が費用を出したのに、オーリックは自分の費用でブラジル公使をリオ・デ・ジャネイロまで送ったといっていると報告した。この報告がフィルモア大統領に伝えられると、即刻オーリック更迭が決まった。大統領は、ブラジル公使に不必要な悪印象を与えることを好まなかったはずだ。帰国後に身の潔白を証明したが、しかし、艦隊司令官として何かが足りなかったように見える。

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07/04/2015, (Original since 07/10/2006)