日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

政府与党や野党からの支持
(『ペリーを訪ねて』、中野昌彦著、東京図書出版会、2006年4月、 ISBN4-86223-017-2、P. 63-66 から引用)

グラフが引用した『アメリカン・ウィッグ・レビュー』誌は、この日本遠征を発令したフィルモア大統領とダニエル・ウェブスター国務長官の所属するウィッグ党の雑誌だ。実際一八五二年六月号に載ったこの記事を読んでみると、アメリカ西海岸から支那まで西回り蒸気船航路が確立され、西回りでも東回りでも世界通商航路がつながることを条件にこの計画を支持している。しかし、戦争をしたり武力行使をすることには絶対反対だった。英国の『ロンドン・タイムス』がアメリカの日本遠征計画について、人道的な立場に立って「戦争は避けねばならぬ」という記事を載せた。これに噛み付き、そう評論するイギリス自身が支那で起こしたアヘン戦争を挙げて、「戦争は避けねばならぬ」という口の裏には、「アメリカも同様になるさ」という辛らつな考えが隠されているとまで非難した。そしてイギリスの轍は踏まないと言い切っている。

こう感情的に書いた『アメリカン・ウィッグ・レビュー』誌に対し、民主党の『US・デモクラティック・レビュー』誌は冷静に評価し、現代的なコメントを書いた。一八五三年一月号に載った記事を見ると、今は「通商の時代」だから各国の貿易が人類の繁栄をもたらす。日本に三十万の歩兵と五万の騎兵がいても、四十二ポンド長距離砲や十インチ・ペキザン式炸裂弾砲を持ったアメリカ海軍将官の技術力にかなう筈が無い。船上から指揮するだけで事は済んでしまう。日本もアヘン戦争で支那の惨敗は良く知っているから、支那が香港を失ったことを教訓に、たとえ日本政府が蛮夷の国々に不満を持つにせよ、六、七百万ドルの賠償金を支払い、その上「佐渡」や「シココ」(筆者注、四国の意か)、その他の島を失う危険は避けるだろう。こう冷徹に結果を見通していた。更に、提督への命令はもっと大胆で率直でも良かった。命令書にある「誠実に願え」ではなく、時代の要求に沿った事だから「通商条約を結べるはずだ」と命令すべきだった。ウィッグ党政府が勇敢に第一歩を踏み出した事は有り難い、と賛辞さえ送った。この評論はペリーが出発した約一ヶ月後に書かれたが、議会では与党・ウィッグ党も、そして多数派の野党・民主党も日本遠征を支持していたのだ。

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07/04/2015, (Original since 07/10/2006)