日米交流
Japan-US Encounters Website
History of Japan-US Relations in the period of late 1700s and 1900s

 

ジェームスタウン、北米最初のイギリス入植地

ローノーク、ジェームスタウン、プリモス
Image credit: © 筆者

1492年に、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸を発見したことは良く知られている。その後16世紀初頭から、ポルトガルやスペインが活発にアメリカ大陸の中部から南部を探検した。スペイン王は、現在のメキシコからコロンビアやベネズエラにかけて「新スペイン総督統治領」をおき、ペルーからチリにかけて「ペルー総督統治領」をおいた。

一方イギリスは1585年、現在のノース・カロライナ州ローノーク島に最初の入植地を開き、二、三回入植者が送られた。その内の多数は生活の困難さからイギリスに引き上げたが、残留した人達は、1590年にイギリスから必需品を積んだ船が来た時は誰も居なくなっていて、その後の消息が全く分かっていない。入植は完全な失敗だった。

次のイギリスからの入植は、ジェームス一世の許可によりロンドンに設立されたロンドン会社が、1607年に新大陸に送った約百人の入植者である。入植者たちは三艘の船で、4月26日、現在のヴァージニア州チェサピーク湾に入った。少し川をさかのぼり、ジェームスタウンと名づけたジェームスリバーの中州の入植地に上陸した。湿地帯の島は衛生状態が悪く、疫病や飢餓の困難や、インディアンの果てしない攻撃があったが、本国からの補給船に助けられかろうじて存続に成功し、最初のイギリスの北米入植地となった。

当時ヴァージニアのチェサピーク湾岸には、強力な酋長・ポーハタン(Powhatan=通称、実名 Wahunsonacock)に率いられたポーハタン族インディアンの部族連合があり、入植者たちの脅威だった。幸運なことに1614年、ポーハタン酋長の娘・ポカハンタス(Pocahontas=通称、実名 Matoaka)が入植者の若者、ジョーン・ロルフと結婚し、その後8年近く平和が続いた。この物語は今も語り継がれ、アニメにもなっているから見た人も多いだろう。ジョーン・ロルフは入植地でタバコの栽培に成功し、一定の定期収入をもたらす作物に仕立てた人物だ。後にペリー提督が旗艦にし日本に来た蒸気軍艦にポーハタン号があるが、この酋長あるいは部族の名前から命名された軍艦だ。

ポカハンタスとポーハタン酋長の死後は関係が悪化し、1622年からまた熾烈な戦いが繰り返されたが、1644年のポーハタン族の大攻撃で、酋長が捉えられて殺された。その後はポーハタン族の力が急速に衰え、植民地の発展につながる。その後もジェームスタウンは英国王室統治領・バージニア州の州都として1698年まで存続した。

日本では、1620年にイギリスからメイフラワー号に乗って入植した百二人の清教徒の方が良く知られている。ジェームスタウンの成功に継いで、ロンドン会社が送ったメイフラワー号は嵐のためヴァージニアには着けず、ずっと北のケープコッドに着いた。ロンドン会社の許可の下、入植者たちは現在のマサチューセッツ州プリモスに入植した。これはイギリスが成功した二番目の入植地だ。

ちなみにオランダもまた同じ頃、1609年に現在のニューヨーク市に流れるハドソン川を発見し、ロングアイランドを含めたハドソン川の東西流域を測量し、1614年に領土宣言をした。そして実際の入植は1624年に成功している。

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07/04/2015, (Original since 07/13/2006)