タウンゼント・ハリスから堀田備中守宛て書翰(安政5年6月14日付け)
アメリカ軍艦ミシシッピー号とポーハタン号が安政5(1858)年6月に相次いで下田に入港し、イギリスとフランス連合は支那との第二次アヘン戦争にかたをつけ、インドの大反乱も収まったというニュースをもたらした。これを好機と見たハリスはたちどころにポーハタン号に乗り、6月17日下田から小柴沖に来て、堀田備中守宛て書翰を送った。この書翰いわく、
千八百五拾八年七月廿四日(六月十四日相当申候)
於下田合衆国コンシュル・ゼネラール館
江戸に於いて
日本国にて外国事務宰相
堀田備中守様へ
蒸気船ミシシッピー号が入港し、貴所様に対し非常に大切な事実をお伝えする事態になりました。
インド派遣の軍隊により、(大反乱が)収まりました。
支那人はピイフーに於いてフランスとイギリス軍のため敗北し、イギリスとフランス人による通達内容に伏す事になりましたので、支那国の戦争は収まりました。このため、イギリス人とフランス人が日本に進攻する事が自由になりました。
イギリス海軍の30艘から40艘までの軍艦が江戸湾へ進攻する事態は何時でも可能になり、且つフランス海軍はイギリスと一緒に行動する様子と聞いています。この様に極めて大切な情報ですから、日本政府に於いては速やかに対策を施すべき事態であります。私と日本側代表者が話し合ってきた条約が、若しこの海軍渡来以前に調印できなければ、彼らがこの条約内容で承伏する事はおぼつかず、却って先般のインドと支那での勝利に乗じ、イギリス人は日本に於いて広大な勝手を望んで来るでしょう。条約は一日も捨て置けず、調印の件は格別大切な事と貴所様へ誠実に申し上げます。この対策を怠れば、甚だしい危難が起こりましょう。
海軍提督・プチャーチンは、日本暦の6月8日には長崎に渡来致します。恭敬を究め、申し上げます。
日本国のため、アメリカ合衆国全権
兼コンシュル・ゼネラール
タウンゼント・ハリス 印
右真訳
ヘンリー・ヒュースケン
この様に、アジア情勢が急変したのですぐアメリカとの条約に調印しておかねば、イギリスとフランスはどんな難題を要求するか分からない、と伝えたのだ。