孝明天皇の心配、関白・九条尚忠への震翰(安政5年5月25日)
関東からの返答は未だにないが、どうなっているのか。もっとも、入念に衆議を尽くせと命じたから時間がかかっているのだろうが、もうだいぶ日にちも経っている。先日も言ったように、あまり日にちが経ってしまうと自然と人心は怠慢になるから、心痛の至りだ。かつまた大変に疑わしいことだが、この度の一件は京都に言えば所詮実現が困難だからと、関東だけで調印を決定した上で(朝廷へは)届出だけになってしまってはどうしようもないから、誠に誠に嘆かわしく、かつ大変なことになる。ことにアメリカ使節が下田へ引き取ってしまったとのことだが、この上何処にひょっこり現れるのかも分からず、防御のこともどうなっているのか全く安心できない。どうか尊公の判断で武伝を使って美濃守(京都所司代・本多忠民)へ、催促するわけでもないが、どうにかして状況が分からないか問い合わせてみたらどうか。また去る(安政5年5月)15日、武伝から上がってきた関東からのアメリカ(大統領)宛の書付について、尊公はどう思うか。自分は理解しがたい。あまりあっさり下田へ帰ってしまったアメリカ使節の考えも安心ならない。尊公は何かそこのところの噂でも聞いていないか。これもまた前述のように書付だけで済まして置いて、関東の考えだけを通そうとする手段ではないかと疑うので、この書付の件はよく関東へ尋問するよう武伝に命じてもらいたい。以上のことは非常に不安心で、そうなって欲しくないとの思いで書いたから読んで欲しい。どうか早々に実行するよう頼入る。