ペリー提督の出発とその新聞報道
ペリー提督は1852(嘉永5)年11月24日、蒸気軍艦・ミシシッピー号に乗り単独でノーフォーク軍港を出発したが、これを「ニューヨーク・ヘラルド」紙が11月29日付け朝刊の第1面で詳報している。いわく、
日本遠征
蒸気軍艦・ミシシッピー号の出発
艦隊の戦力、その他
長期に遅延していた海軍の遠征が、部分的にせよついに動き出した ⸺ 艦隊の旗艦でペリー提督の小燕尾旗を掲揚する蒸気フリゲート艦・ミシシッピー号が、おそらく艦隊が集合するであろうマデイラ島経由で、先週の水曜日(筆者注:1852年11月24日)、江戸に向けノーフォークを出港した。遠征艦隊の諸備品を積載した補給船・タルボット号はその少し以前に出港している。遠征に予定された残りの艦船は、準備が整い次第、おそらく分遣隊として続くと思われる。
次に掲げるものが艦隊を実質的に構成する艦船である。
艦名 | 大砲数 | 乗組み人数 |
ヴァ―モント号、3,000トン | 96 | 800 |
ミシシッピー号、蒸気フリゲート艦、1,700トン | 10 | 376 |
サスケハナ号、 同 2,500トン | 9 | 350 |
ポーハタン号、 同 2,500トン | 9 | 270 |
アレゲニー号、 同 1,100トン | 2 | 190 |
サラトガ号、 1級スループ型砲艦 | 22 | 190 |
セントマリーズ号、同 | 22 | 190 |
ヴィンセンス号、 同 | 22 | 190 |
分解再建フリゲート艦・マセドニアン号 | 22 | 450 |
ブリグ型砲艦・ポーポス号 | 10 | 120 |
補給船・サウザンプトン号、32ポンド砲 | 4 | ・・ |
同 レキシントン号、同 | 4 | ・・ |
同 タルボット号、 同 | 4 | ・・ |
合計 | 236 | 3,125 |
艦隊中最大の軍艦であるヴァ―モント号は優秀な戦列砲艦で、1848年にボストンで建造され、一時期チャールスタウンの海軍造船所で入隊船( receiving ship, 筆者注:新規召集水兵の配属前の訓練に使われた軍艦)として使われていたが、そこで遠征艦隊向けに艤装されたものである。この軍艦は全乗組員が配属された時点で出港する。 ⸺ この艦と数艘の僚船への乗組員確保の困難が、この遠征の出発遅延の大きな原因である。
旗艦である蒸気フリゲート艦・ミシシッピー号は約十一年経過した船で、良くできた頑丈な船であるが、むしろその不格好な外見からイーストリヴァーに係留中は辛口批判を受けた船で、多くは海軍軍艦設計のモデルにはならないと見ている。しかしこの軍艦は何から何まで完全に整備され、規定乗組員は我が海軍のエリート達で構成され、戦闘に寄って来る敵軍にそれを証明するだろう。ミシシッピー号は1841年にフィラデルフィアで建造され、それ以来ずっと現役で、その間地中海の多くの港に寄港し、最近は、派遣されたペリー提督が漁業関係紛争の調査を委任され、イギリスの州(筆者注:現カナダ)の訪問から帰港したばかりである。
乗組士官は下記の通りである。
提督 − マシュー・C・ペリー
艦長 − S・S・リー、(前艦長・マクルーニーはポーハタン号へ移籍) (筆者注:以下省略)
蒸気フリゲート艦・サスケハナ号は二年しか経っていず、1850年にフィラデルフィアで建造された船である。この軍艦は現在東インド艦隊所属である。その士官は、
提督 − ジョーン・H・オーリック (筆者注:以下省略)
蒸気フリゲート艦・ポーハタン号は艦隊の最新の軍艦で、任務に就いて数ヵ月しか経っていない。この軍艦は1850年にノーフォークで進水した。これは船体も機構も素晴らしい軍艦で、速度は海軍のどんな蒸気軍艦をも凌ぐと言われている。士官は下記の如くである。
艦長 − ウィリアム・J・マクルーニー(前マーヴィン号、インデペンデンス号に移籍) (筆者注:以下省略)
ポーハタン号は今月27日ペンサコーラからノーフォークへ入港した。
蒸気フリゲート艦・アレゲニー号は約五年経っており、1847年ペンシルバニア州ピッツバーグで建造された。この軍艦は現在、ノーフォークで艤装中である。
スループ型砲艦・サラトガ号は1842年にニューハンプシャー州ポーツマスで建造され、従って十年経っている。この砲艦は20門の大砲が装備され、東インド艦隊の一部である。
スループ型砲艦・セントマリーズ号は1844年にワシントンで建造され、20門の大砲が装備されている。この砲艦は昨年7月、香港からバタヴィアに航行した。当時の乗組み士官は、
ジェオ・A・マグルーダー海軍中佐、 (筆者注:以下省略)
スループ型砲艦・ヴィンセンス号は大砲20門装備である。この砲艦は1826年にこの街で建造され、従って26年経っている。これは太平洋艦隊に所属していたが、現在ブルックリン海軍造船所で艤装中である。
分解再建フリゲート艦・マセドニアン号は1812年にイギリス海軍から捕獲し、1836年に再建された。この艦は最近「分解」され、三層甲板から二層甲板に縮小し、ラーレイ号と再命名された。この軍艦の旧名が現在再建造された軍艦に付けられたのだ。(筆者注:「ラーレイ号と再命名された」と記述されているが、実際は「マセドニアン号」と呼ばれた様だ。1836年に再建されたマセドニアン号は、捕獲船の竜骨を再使用して再建された)。この軍艦は現在、ブルックリン海軍造船所で遠征に向け準備中である。
ブリグ型軍艦・ポーポス号は10門の大砲を装備した軍艦で、1838年にボストンで建造され、最近アフリカ艦隊へ配属された。この軍艦は7月28日にポート・プラヤから帰還したので、ブルックリン海軍造船所で艤装中である。
遠征隊に随伴する3艘の補給船のうち、サウザンプトン号は1845年にノーフォークで建造され、レキシントン号は1825年にニューヨークで建造された。両船とも我が海軍造船所で艤装中である。タルボット号は長く広東貿易に従事した商船で、この遠征のため、ただ政府に傭船されたものである。
日本艦隊は13艘の船からなり、即ち、1艘の戦列砲艦、4艘の蒸気フリゲート艦、1艘の分解再建フリゲート艦、3艘のスループ型砲艦、1艘のブリグ型砲艦、そして3艘の補給船で、236門の大砲と(補給船の乗組員を含め)約3,300人の乗組員に700人の海兵隊を加えた陣容であり、士官を除き、艦隊の実効勢力4,000人である。蒸気軍艦は夫々に、水平に回転可能な発射台に固定された2門のペキザン式炸裂砲弾砲が装備され、夫々68ポンド炸裂砲弾と120ポンド弾を発射できる。更に蒸気軍艦には長砲身42ポンド砲を装備し、夫々炸裂砲弾か散弾を撃てる2門の真鍮製野戦砲を積載している。ブリグ型砲艦・ポーポス号とスループ型砲艦・サラトガ号、セントマリーズ号、ヴィンセンス号は32ポンド砲を装備する。ヴァ―モント号はその下甲板に長砲身42ポンド砲を装備し、長砲身32ポンド砲を中甲板に、上甲板には短砲身18ポンド砲を装備する。
ジョシュア・R・サンズ提督はアレゲニー号を、ハイラム・ポールディング大佐はヴァ―モント号を指揮する命令が出された。上記の二人を除き、軍艦に指名される士官の名前はまだ発表されていない。公表の一覧表を入手次第、直ちに発行するつもりである。
遠征隊は、蒸気機関車と客車、10マイル分の鉄路、そして宮廷と主要な街を結ぶに十分な電線も付けた電信機器、ダゲレオタイプ写真を撮影する器具、皇帝用の素晴らしい平底船、約50箱ものあらゆる種類の国産品とを持って行くであろう。先にバッファローのオライリー通信回線の担当で最近議会通信回線の電信機運用者になったジョーン・ウィリアムス氏が、政府により遠征隊所属に指名され、電信機器の威力を実演すると発表された。これら全ては失敗なしに、異教徒圏外の我が威力として、現地の日本人の心に深い感動を与えねばならない。
この様に詳しくその陣容を述べた記事であるが、このサイトの方々で記述してある内容と矛盾する情報もある。船のトン数や大砲の数、乗り組み人数など、定義の違いや公称数と実数の違い等によるものがある。また例えば、ヴィンセンス号やポーポス号はペリー艦隊ではなく「ロジャーズ − リングゴールド遠征隊」に所属し、北太平洋探検隊として、ペリー提督が日本を去った直後に日本に寄港している。当時は情報伝達速度も遅く、準備の都合上船の所属や行動予定が大きく変更になった艦船もあり、実際と少し違った報道になったのであろう。